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東京地方裁判所 昭和24年(行)15号 判決

原告 田中益三

被告 板橋区農地委員会

一、主  文

被告が昭和二十三年十一月十三日にした原告所有の別紙目録記載の土地に対する農地買収計画は、これを取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、請求の原因として、又被告の答弁に対して、次のとおり述べた。

被告は、昭和二十三年十一月十三日、原告所有の別紙目録記載の土地について、それが昭和二十年十一月二十三日現在において不在地主の小作地であつたと認定し、自作農創設特別措置法第三条第一項第一号、第六条の五の規定により農地買収計画を定め、昭和二十三年十一月十八日これを公告した(この買収計画に関する書類の縦覧期間は同日から同月二十七日までであつた)。原告は、右認定に不服であつたから同月二十七日被告に対し異議申立をしたところ、被告は昭和二十四年一月十三日原告の異議申立を棄却する決定をし、その決定書の謄本を同月二十七日原告に送付した。

しかしながら、本件買収計画は、次の理由から違法である。即ち、原告家は先祖代々板橋区成増町に居住しており、原告も同町七百九十二番地の住居で酒類販売業を営んできたが、昭和二十年六月一日に、当時東京都内に対する米軍の空襲が激化していたので、妻とともに埼玉県秩父郡吉田町に疎開した。その際、配給物資受領のための区役所への住所の届出については、便宜上板橋区から転出する手続をとつたが、一人娘の富美江は当時明治女子専門学校に通学していたので、これを成増町の旧住居に残し、原告自身も所要のため疎開先と娘のいるところとを往復して暮していた。そして、同年十月五日頃からは、家屋建築の準備もあり、原告自身は、妻を吉田町に残したまま、事実上成増町で娘とともに生活していたのである。その後、昭和二十一年同区上赤塚町五百三十四番地に家屋を建築してここに移り、さらに昭和二十三年中同町九十一番地に現住居を完成して、ここに移り、現在に至つている。

かように、原告は一時吉田町に疎開したが、住所は板橋区から他に移す意思は少しもなかつたのみならず、事実上も昭和二十年十月頃から現在までずつと板橋区内に居住しているのであるから、本件土地を昭和二十年十一月二十三日当時における不在地主の小作地であつたという被告の認定は誤りであり、本件買収計画は違法である。よつて、その取消を求める。

原告は、疎開に際して、従来の住宅及びその敷地を他人に売却したけれども、当時企業整備で酒類販売業を廃業していたし右住宅は草葺で営業に不適当な建物である上、場所も商売に不向きであつた関係から、かねがね板橋区内の他の適当な処に家屋を建てて引移つて、営業を再開したい考えでいたからであり、板橋区内に復帰する意思がなかつたからではない。又昭和二十三年六月五日になつてはじめて同区上赤塚町に住所の転入手続をとつたのは、当時都内への転入が困難であつたことと家屋を建築して住居を安定させた上で転入手続をとろうと考えていたこととによつて、手続だけが遅れたのである。

かように述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、まず、「原告の訴を却下する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

原告が本件買収計画に対し異議の申立をしたのは、昭和二十三年十二月二十日であり、これは本件買収計画に対する異議申立期間(昭和二十三年十一月十八日から同月二十七日まで)経過後であるから、異議申立として不適法であり、その効力がない。そして、原告は訴願もしていないのである。原告の本訴は異議申立及び訴願を経ないで提起されたことになる。また本訴が提起されたのは昭和二十四年二月十四日であるから、本件買収計画が公告された日である同月十八日から二カ月を経過した後に至つてはじめて、その取消訴訟が提起されたわけである。よつて、本訴は、異議申立及び訴願を経ていないという点においても、出訴期間経過後の訴提起であるという点においても、不適法である。仮りに原告の異議申立が適法であり、その効力があるとしても、これを棄却する被告の決定は昭和二十四年一月十三日になされ、この日原告は被告の委員会議に出席して右決定のあつたことを知つていたのであるから、同日から一カ月を経過した後に提起された本訴は、出訴期間経過後の訴提起であつて不適法である。

いずれにせよ、本訴は不適法として、却下をまぬがれない。かように述べた。

つぎに、本案について、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、次のとおり答えた。

原告の主張する事実のうち、被告が原告所有の別紙目録記載の土地について、原告主張のとおり買収計画を定め、これを公告したこと、この買収計画に関する書類の縦覧期間が原告主張のとおりであつたこと、原告から異議申立があり、被告が原告主張の日に、これを棄却する決定をし、その決定書の謄本を原告に送付したこと、原告が昭和二十年六月一日板橋区成増町の住所から埼玉県秩父郡吉田町に疎開し、その際配給物資受領のための住所の届出に関し板橋区から転出する手続をとつたこと、原告が昭和二十三年から肩書現住所に居住していることは、いずれも認めるが、原告が疎開していた間原告の娘が通学のため成増町に残つていたということ、原告自身疎開先と成増町とを往復して暮らしていたということ、昭和二十年十月五日頃から原告が事実上成増町で娘とともに生活していたということ及び原告が疎開するに当り板橋区内から他に住所を移す意思がなかつたということは、いずれも否認する。その余の原告主張の事実は知らない。

原告は疎開に当り、従来の住宅及びその敷地を他人に売却して吉田町に移つたのであるから、その時から成増町は原告の住所地ではなくなつたのである。そして、原告が板橋区内に転入してきたのは昭和二十三年六月五日である。従つて、昭和二十年十一月二十三日当時の原告の住所は、主観的にも客観的にも吉田町にあつたのであり、板橋区内にはなかつた。本件買収計画は、当時の事実に基いて本件土地を不在地主の小作地と認定して定めたのであるから、適法である。原告の請求は、理由がない。

かように述べた。(立証省略)

三、理  由

被告が、原告所有の本件土地について、昭和二十三年十一月十三日農地買収計画を定め、同月十八日公告したこと、右買収計画に関する書類の縦覧期間(従つて、買収計画に対する異議申立期間)が同日から同月二十七日までであつたこと及び原告が本件買収計画に対し異議申立をしたことは、それが当事者間に争いがないことと、甲第一号証(証人田中浜三、木村政次の各証言と原告本人の供述とによつて、原告から被告に提出された異議申立書の控であると認められる)とによつて、認めることができる。そして右甲第一号証と証人田中浜三、木村政次の各証言、原告本人の供述とを合せ考えると、原告は本件買収計画に対する異議申立書を、異議申立期間の最終日である同月二十七日に被告に提出したことが認められる。乙第三号証の一、二(被告に備付けてある申請書類の受付簿真正にできたことについて争いがない)には、被告が右異議申立書を受付けたのは同年十二月二十日であるように記載されており、証人藤田栄太郎も、右記載が正しい、と証言しているけれども、これらは、同証人の証言中、「書類を受付けてもすぐに受付簿に記載しないで忘れたままになつていることもある。そして、後に気づいて、気づいた日の日附で記載することがある。」という部分と乙第三号証の一、二中に、書類の受付日附が前後して載つている実例があることと、前記証人田中浜三、木村政次の各証言、原告本人の供述とに対比してみて、真実であるとは認められない。その他に、前認定をくつがえすに足りる証拠はない。

してみると、原告の異議申立は適法の期間内に申立てられた適法な異議申立であるといわなければならない。

原告の右異議申立に対し、被告が昭和二十四年一月十三日異議申立を棄却する旨の決定をし、その決定書の謄本を同月二十七日原告に送付したことはそれが当事者間に争いがないことと乙第一号証(真正にできたことについて争いがない)とによつて認めることができる。

被告は、右決定がなされた委員会議に原告自身出頭して、決定のなされたことを聞いていたのであるから、原告が右決定を知つたのは、同年一月十三日であると主張するが、行政行為は原則として、行政機関の内部的な意思の決定があつただけで効力を生ずるものではなく、行為の相手方に対し告知されて始めて効力を生ずる、即ち行政行為があつたことになるのである。本法による異議に対する決定についても、その例外とする趣旨はどこにも認められないし、同法施行規則第四条第一項によると決定書の謄本は申立人に送付しなければならないのであるから、決定書の謄本が申立人に送付されたときに、決定があつたことになる、といわなければならない。決定がある前に決定のあつたことを知るということはありえないことである。被告の前記決定書の謄本が原告に送付されたのは同月二十七日であるから反証がない限り、原告は同日右決定のあつたことを知つた、と認めるのが相当である。

買収計画の取消を求める訴について、買収計画に対し、適法な異議申立及びこれに対する決定があつたときは、この決定のあつた日及び異議申立人がそれを知つた日を基準として、出訴期間を算定すべきである。そして、本訴が提起された日が昭和二十四年二月十四日であることは、記録上明らかである。

以上によると、本訴は、適法な異議申立及びこれに対する決定を経ており、かつ法定の出訴期間内に提起された適法な訴であるといわなければならない。被告の本案前の抗弁は、採用できない。

そこで、本案に入つて、判断を与える。

被告が、原告所有の本件土地について、昭和二十年十一月二十三日現在において不在地主の小作地であつたと認定して、本法第三条第一項第一号、第六条の五の規定により、本件買収計画を定めたこと、原告が昭和二十年六月一日、当時の住所であつた板橋区成増町七百九十二番地にあつた住宅及びその敷地を他人に売却して、埼玉県秩父郡吉田町に疎開したこと、その際原告が配給物資受領に関する住所の届出について、板橋区から転出する手続をとつたこと及び昭和二十三年六月五日同区上赤塚町に転入の手続をとつたことはいずれも当事者間に争いがない。

証人田中富美江、岡田音五郎、坂本由五郎(第一、二回)、田中利八、久保四方吉、土井初五郎の各証言と、原告本人の供述とを合せ考えると、次のとおり事実を認めることができる。

原告家は、その五代前から板橋区成増町に居住してきており原告も同町七百九十二番地に居住し、酒類販売業を営んできたが、昭和十七年企業整備で廃業し、その後一時会社勤をしたが戦争が烈しくなつてきた頃には無職の状態にあつた。昭和二十年になると東京都内に対する米軍の空襲が激化してきて、政府も都民に近県への疎開を奨励していたので、原告は同年一月弟の世話で前記吉田町に借家(二階家の階下十坪)を求め、とりあえず荷物を送つておいた。そして、同年四月に倉庫一棟を残し、住宅、物置及びその敷地を岩崎通信機株式会社の社長岩崎某に売却し、同年六月娘を残して妻とともに吉田町に疎開した原告は、右住宅が草葺でもともと酒類販売業に不適当な家屋であり、場所も商売に向かない不便なところであるところから、かねがね板橋区内の他の適当なところに家を新築し、営業を再開したいと考えており、実際既に同区上赤塚町九十一番地に土地を買つておいたので、右住宅及び敷地を売却したのであつたが、戦争中のことでもあり、何時家を建てることができるか予定が立たない上に、疎開先にいつまで居れるかもわからないことであつたので、いざというときには居住できるようにと、倉庫一棟だけは残しておいたのであつた。原告の一人娘富美江は当時明治女子専門学校に在学していたので、疎開できなかつた。同人は売渡した家屋に入つてきた津島かつとしばらく同居した後、同年九月頃同区上赤塚町六百三十六番地並木某方に世話になつた。原告は吉田町に移つた後も所要で屡々成増町に出てくることがあつたが、同年十月頃からは、家屋建築の準備もあつて、一層しげく板橋区内に来る必要が起つてきた。そこで富美江を並木方から引きとり、前記倉庫の二階に住まわせ(階下には、矢島重五郎の家族が居住していた)板橋区内に帰つてきたときには、富美江とともに倉庫に寝起きすることにしていた。そして、昭和二十一年六月に、とりあえず上赤塚町五百三十四番地に小さい家を建て始め、翌二十二年二月ここに引越したが、この家では酒類販売業ができないので、さらに昭和二十三年三月上赤塚町九十一番地の前記土地の上に家屋を建築して引移り、営業の登録を受けて、商売を再開した。終戦後都内への転入はかなり制限されていたし、原告としては所有農地からあがる保有米があつた関係から、家を建てて落ちついてから転入手続をとろうと考えていたので、転入手続は遅れて昭和二十三年六月になつてはじめてした、という結果になつた。

かような事実を認めることができる。前記各証人の証言及び原告本人の供述中右認定に反する部分は、いずれも採用できないし、又右認定をくつがえすに足りる証拠は他にない。

以上認定の事実によると、原告は空襲による災害を避ける目的で一時的に前記吉田町に疎開したのであり、たまたま従来の住宅を売却していたために、終戦後直ちに旧住居に復帰することができなかつたのである。原告が永続的に吉田町に居住しようとして板橋区内から転出したのではないのである。もつとも本件の場合、旧住居を売却して疎開したという点が、通常の疎開の場合とは異るのであるが、売却するに至つた事情が前記のとおりであつてみると、これも必ずしも特異に解することはできないのである。かような居住に安定性のない疎開地をもつて住所地とみることはとうていできないのであつて、原告の住所地は疎開後においても、娘がひきつづき居住しており、いざという場合の居住のために残しておいた倉庫があり、そして同区内に将来家屋を建築して商売を再開しようと予定して買つておいた宅地のある板橋区成増町七百九十二番地にあつた、そして昭和二十二年二月から同区上赤塚町に移つた、と解するのが相当である。乙第五、第八号証(真正にできたことについて争いがない)には、吉田町の衆議院議員選挙人名簿の記載からいつて、原告の住所は少くとも昭和二十年三月頃から昭和二十一年十月十日頃までは同町にあつた、という趣旨の記載があるけれども、選挙人名簿の記載は住所決定の資料として絶対的なものではない。さきに認めた諸事情があるからには、この選挙人名簿の記載によつて原告の住所を決定することはできない。

してみると、昭和二十年十一月二十三日現在における原告の住所は、板橋区成増町にあつたというべく、同区内にある本件土地を同日現在における不在地主の小作地と認めて定めた本件買収計画は違法であるといわなければならない。

原告の本訴請求は、正当としてこれを認容すべく、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新村義広 武藤英一 西村宏一)

(目録省略)

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